てんきちとなーちゃんは5歳の歳の差がある。
なーちゃんとすぅは1歳と11カ月の歳の差。
「二人目不妊」という言葉があるそうだが、わたしはてんきちを産んだ後なかなか2人目を授からなかった。
婦人科に行って検査を受け、注射も打っていたのだが、その当時は働くお母さんだったわたし。
休みを取って通うこの注射が辛かった。
血管が細いのかなかなか注射の針が入らなくていつも何度も刺し直しされるため両腕や手首などは注射の跡だらけ(一度は薬が血管にちゃんと入っておらず、ありえないほど腕が腫れあがった)。
それまでは注射は特に嫌いでも何でもなかったはずなのに、この時以来注射が大の苦手になったほど。
そして何よりこの注射で髪の毛も抜けたし、気分も悪くなる。
貧血体質を直そうってことで始めた治療だったと記憶しているが、そのうち仕事が忙しくなり(そして先生が怖かったこともあり 笑)やめてしまった。
やめてしまった半年後か1年後だったか、ついに妊娠した。
ついにやってきたこの命に、喜ぶのもつかの間・・・・・
妊娠した!と同時に始まるのだ、わたしの場合。
悪夢の悪阻が。
食べ物は一切食べられない、水分も取れないほど気分が悪く、でもおなかがすくと余計に気分が悪いため、レモン水で常に口の中を湿らせる。
でも自分の唾液すら気持ちが悪くて飲み込めなくなる。
だいたい妊娠6カ月ごろまで続くこの果てしない悪阻のせいで、妊娠するたびにわたしは7キロもやせる(その後それ以上に太ります、雪だるまのように)。
しかしそれでも仕事へ行かねばならなかった。
自転車でてんきちを保育所へ預け、その足で駅まで向かって電車で三宮へ。
真っ青な顔で仕事をこなして倒れそうになりながら夕方電車に乗る。
で。
出血してしまったのだ。
かなりの量だった(生理2日目くらいの量だった)。
店長に申し出てその日はそのまま帰らせてもらった。
昼間のガラ空きの電車に乗り、おなかをかばうように手で覆って前のめりになり、ボーっと座ってこんなことを考えたのを今でもよく覚えている。
「もうダメかもしれない。この子を産んであげられなかったら、それはわたしのせいだ」
普段は節約のために絶対に乗ることのないタクシーに乗ってそのまま病院へ行った。
先生から言われたのは
「絶対安静」
仕事は次の日から休みにしてもらい(その節は多大なるご迷惑をおかけいたしました、関係者の皆様がた・・・涙)家で寝ていた。
あまりにしんどくなったら点滴を打ってもらいにも行ったが、病院へ行くのすらしんどかった(何度も入院を勧められたが、てんきちが居るのでと言って断って家で寝ていた)。
悪阻が終わるまで。
その間、てんきちはじーじに保育所へ連れて行ってもらい、食事の支度は一切せず(たしかオットは外で済ませ、てんきちはじーじのところで晩御飯とお風呂も済ませて帰ってきてたんじゃなかろうか。しかしこのてんきちがじーじ宅で使うシャンプーのにおいにさえ吐き気)わたしはオットに買ってきてもらったレモン水とカロリーメイトで生きていた(シンクの前に鏡台の椅子を運び、一日中そこへ座って過ごしていたよ、げーげー吐きながら)。
でも、思った。
絶対にこの子を産もう。
おなかの中で今、この子もがんばってるんだ。
あと何カ月か後にはこの子を絶対に抱っこしているんだ。
その後も少し動いただけで出血する日々は続いたように思う。
しかしおなかの中の赤ちゃんは生きようと頑張った。
必死にわたしにしがみついていた。
そんなわけで妊娠初期は切迫流産の危険、妊娠後期には切迫早産の危険と戦いながらの常に安静に安静に、安静のままのマタニティー生活。
てんきちは保育所を12月いっぱいでやめ、4月までは自宅でわたしと勉強し、春からは公立の幼稚園へ行くことに。
2月入ってすぐにてんきちと一緒にわたしの実家へ帰省し、それから生まれるまでの1カ月はまさに上げ膳据え膳生活。
そうしていよいよ3月。
いよいよ生まれるという前の日に、てんきちから貰った手紙だ。
わたしの宝物。
ままは いちばん かわいいね(笑)
ままは もうおこったらあかん。
はいはい、わかっております。
陣痛に気づいたのはその日の真夜中2時ごろ。
やっぱり陣痛なのかそれとも便意なのかがわからず、1時間ほどトイレで考えた。
そして3時ごろ、ばーちゃんに内線電話で「陣痛が来たような気がするんだけど??」と連絡し、ばーちゃんの運転する車で産院へ。
田舎の空はまだ星がいっぱいだなーなんて夜空を見上げた。
産院へ着いて診察してもらうが、
「まだまだでしょう」
という助産師さん。
その言葉を信じてばーちゃんはいったん帰宅した。
がしかし!
ばーちゃんが帰った途端に、やっぱりお産は超スピードで進んでしまい、あっという間に破水(破水してるじゃないの!すぐに報告しなかったと母さん大変怒られた)、あれよあれよというまに赤ちゃんは降りてきてしまい、なんと分娩台に上がるまでにこの床の上に産み落としてしまうんじゃないかってほどに焦りまくりで分娩室へ移動。
がしかし!
3人の中で一番巨大ベビーだったこの赤ちゃん。
いっちばん痛かったよ。
てんきちはスッポーン!
すぅはする〜り
なーちゃんはギシギシみしみし骨が鳴ったね。
めちゃめちゃ痛かった。
そしてやっとこさ出てきたお顔を見て笑った。
だっててんきちとまるで瓜二つだったから。
もう一度てんきちを産んだのかと思ったほどにそっくりの女の子(しかも巨大)。
人気のある産院だったため、ずらーーーーーーっと新生児室に赤ちゃんが並べられてるんだけど、その中で一人だけ「おや?1歳の子が混じってる?」と見紛うほどに巨大ベビーだったなーちゃん(しかも生まれた時から髪の毛が黒々と濃く、そして長かった)。
(今では3人の中で一番の小顔で、足も一番長くてスタイル抜群のイマドキの女子になったけど 笑)
なーちゃんはそんな風にして頑張って頑張って、生まれてきたのでした。
産まれるまでも産むときも大変だったなーちゃんだけど、産んでからも人一倍手が掛ったなーちゃん。
その話はまた機会があれば・・・
さてさて。
長くなってしまいました。
お誕生日から1カ月遅れてしまったけど、今日はなーちゃんのリクエストのお野菜レシピです。
かぼちゃのサラダ、かぼ○さらです。
この頃「きれいになるお野菜」が気になるお年頃のなーちゃんでした。
レシピはこちらから→こちら
産んだ後、少しの間分娩室で生まれたてのなーちゃんと2人っきりになった。
時間にしておよそ3分かそこらだろうか。
赤くて柔らかな小さなこぶしを人差指でつつき、そのままかわいらしい口元をそっとつついてみた。
わたしの人差し指をちゅうちゅうと音を立てて吸ったなーちゃん。
好き嫌いをせずになんでもとりあえず一回食べてみるなーちゃんは、このころからずっと変わらないのだ。
2009年4月10日 12:40 | この記事のURL | コメント(13) | トラックバック(0)