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第7回目 フード・デザイン・カンパニー・ジャパン NIRO FOOD GRAPHICSさん 後編
フード・デザイン・カンパニー・ジャパン へ

update 2008.07.18 カメラマン : Rumiko Igaki text : Rumiko Igaki

〔インタビュアー(以下イ)〕 こんにちは。お久しぶりです。NIRO FOOD GRAPHICSさんが気になる!! と、レシピブロガーの方からたまに質問を受けたりしますよ(笑)。3人で活動することになったきっかけと、みなさんのプロフィールを教えてください。


〔原島さん(以下ハ)〕 僕と竹末はホテルで同じ職場だったんです。新卒で竹末が入社してきて。


〔竹末さん(以下タ)〕 ホテルの職場は皆、年が離れていて。話が合う人が居なかったんですよね。そこに原島君が居て。パンクについて休憩室で熱く語り合ったのが最初です。「ダムドっていいよね」とか「いや、ラモーンズも最高ですけど」みたいなのをコックコート着ながら…ソース付けながら…(笑)



〔イ〕 イッキュウ君は?


〔ハ〕 同じ匂いがするヤツが居ると(笑) 僕、専門学校で教えていた時期があって、そのときの生徒にイッキュウがいて。若い生徒ばかりのクラスに、何かオッサン的な奴がいると、同じ匂いがするヤツが居ると(笑)

で話をしてるうちにいつの間にかイッキュウがNIROにいて、気がついたら3人体制になってました。3人になったから更に食で面白いことをしよう! そう思って名前をNIROからNIRO FOOD GRAPHICSに変更して活動するようになりました。


〔イッキュウ〕 陶芸家の弟子をやって、30歳の時に、この先陶芸家になるのは難しい、と思って東京に帰ってきたんです。


〔イ〕 陶芸家の弟子っていったいどんなことをするのでしょう?


〔イッキュウ〕 師匠の家のお手伝い…
家事やお子さんのお世話から陶芸を作る時のサポートまで。家族同様、何でもやる感じですね。
東京に戻ってきてから、自分が経験したことを“食”として形に落としてみたいと思ったんです。
そこで専門学校へ通いました。
あるコンセプトを“食”から形にする。
たとえば、現場でいい食材を使って食べて貰うだけじゃなくて、それをみんなの心に残したい。そんな風に思います。


〔ハ〕 今は本職としては、飲食店のプロデュース、メニュー開発とかやってます。
元々は、デザインや音楽の道に進みたかったんだけど、祖父と親父がコックという、洋食一家だったので…
18歳の時、親父の策略的な電話一本でホテルのキッチンにぶち込まれました。

ホテルに就職した頃は、シェフに「辞めたいんですけど…僕…。」みたいに毎日言ってました。今考えると、「よくそんなこと、毎日言えたな俺」と…。シェフの部屋に行って、ソースとかスープの味見をしてもらうときに毎日言うんですよ。
でもそのときのシェフは絶対に辞めさせてくれなかった、たぶんわかってたんでしょうね、「ここで、こいつ辞めたらロクナ大人にならない」って。
そーやってるうちに、だんだん料理も面白くなってきて、「じゃ、頑張っちゃおーかな」って、で結局辞めずに…みたいな。
事実、いい大人かわかりませんが何とか生きていますから、辞めないでよかったかなと。
そのときのシェフがいなかったら、今料理はしていないと思います。 それぐらい僕の中の料理に対する世界観を変えてくれた人でしたから。

そんなこんなで、ホテルの現場を見ていたけど、別にシェフになりたいわけじゃなくて。それよりももっと、広く−自分の好きな音楽やデザインとか「スタイル=生活」と食を繋げたいと思って調理場を飛び出してフードコーディネーターの学校に通ってみて、きっかけを探していましたね。
それで、卒業後たまたま専門学校の講師の話をいただいて…コーディネート科ではなく調理のクラスでしたけど…。


〔イ〕 あ、そこでイッキュウ君との出会いがあったわけですね。
専門学校と現場は違いますか?


〔ハ〕 はい、そこでイッキュウと出会いました。メガネのオッサンと。
学校と現場の違いは、、、まっ言ってしまえば全然違う。って事かな…。
これを話すと泊り込みになるくらい長くなるので、今回は話しませんが、自分視点から言うと高卒でいきなり現場だったので、専門学校に逆に憧れがあって一度行ってみたいなぁ的なノリと、幅広い料理の見せ方、カフェメニューやアジアンテイストな料理まで、いろいろ教える事が出来たので現場では見えなかったものがいろいろ見えてきて、視野が広がったかなと。
明らかに違うのは、お客さんやシェフ先輩、後輩ではなく「生徒」を相手にするって言うところが現場と学校の一番の違いかな。逆に生徒にいろいろ教わった面もあったので。

で30歳になって、今までやってきたものををすべて出そうとNIROを結成したんです。
何でバンドやってるのに魚さばけちゃうの?
何でパソコンでデザインおこしてるのに、本格的に出汁ひいてるの?みたいな、ね(笑)


〔タ〕 高校を卒業する時、とにかく実家を離れたかったんです。
早く自立したかった。一人暮らしってモノに異常なまでに憧れてたんですよね(笑) でどうせ行くなら東京かなと。
実はバンドをやりたかったんです(笑)パンクバンドを。他にやりたい事が無かった。 でもさすがにそれじゃ親への口実にならないなと思って、昔から図工とか物を作ったり、絵を描いたりする事とか何か作る事は好きだったんで、だからまあ「手に職を!」みたいなノリで調理学校に行く事にしました。
あと、きっかけとしては僕のおじいちゃんが街でちっちゃな食堂をやっていて、その影響もあるのかなって。
今でもうちのじいちゃんの焼きそばは世界一だと思ってます(笑) じいちゃんの葬式の時、「ああ、もうあの焼きそばは食えねー訳だ…。」と、サイコーな孫っぷりでしたね(笑)

東京に出てから、バンドを作ってライブもしました。今は忙しくて、そんなに頻繁に出来ないですが。
ホテルに就職したのだけど、最初は料理に関して好きになれなかったんです。音楽が好きすぎて。「こんなフツーの人生嫌だっ!」って。 まあ今思えば相当痛いですけどね。 でも今は楽しくて仕方がないですよ。


〔イ〕 何が変わったんでしょうね?


〔タ〕 とあるコンクールに出て、賞を頂いたんです。
小さなコンクールですけど、「オレがやってきたことは間違えじゃなかったんだ!」って感じました。
それから、去年、僕が今働いているお店がミシュランで星を貰って。みんなで喜び合って最高でした。

今ではこんなメニューを作ってくれとか、ある程度仕事も任される立場になって。ホテルでは僕の年でなかなかそういうことまで携われることはないのですが。やりがいはもの凄くありますね。


〔イ〕 続けていくことで経験値や幅が広がったんですね。


〔タ〕 6年間貢献していて良かったと思いましたね。



〔イ〕 活動していて、3人の中で役割りとか担当ってあるのでしょうか?


〔ハ〕 レシピの考案を竹末がして、それをどういう器を使ってどんな世界観を表現したらいいか、など器の選定をイッキュウが担当します。
総合的なディレクションを僕が。


〔タ〕 原島君は親方ですね。


〔イ〕 竹末君は、お料理のレシピはどんな風に発想されるんでしょう?


〔タ〕 ひらめきで。それが楽しいです。
たとえば、材料が決められている場合、ソースの色や食材の形から最終的なイメージを考えたり。
何か面白いことないかなぁと、イメージするのが面白いです。あとはCDのジャケットとか。


〔イッキュウ〕 この活動を通して音楽やアート、ファッション…etc。新しいフードカルチャーを作りたいと思っています。
現場ではやらない、シェフはやらないようなことでも…。あえて、陶芸家の作家先生とのコラボレーションとか。
それを実際の形にして、発信したらどうなるんだろうとか。


〔ハ〕 食だったら食の世界だけではなく、アパレルやアート、ちょっと視点をずらしたメッセージ性の強いものを提案したり。
僕たちの料理は、受け取る人が何かを感じてもらったらいい。
プロの世界の中でも、基本を忠実に守って料理をする人たちが居れば、僕らのように新しいことに挑戦する人もいる。
僕らがやっていることに賛否両論あると思いますが…
喜怒哀楽を見せてもらったら勝ち、と思って活動を続けています。



インタビューの内容は非常にまじめで熱いのですが…!
3人の話術とコンビネーションが絶妙で終始笑わされ… ちょうど、原島君、イッキュウ君とは歳が同じなこともあり。
20代の葛藤や無我夢中でやっていた事…
みんな頑張っているんだなぁ、素直に心に響きました。
次回は、8月1日アップ予定です。今後の夢を語っていただきます♪どうぞお楽しみに!

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